2017/2/25
勝浦港で車中泊し迎えた朝。
「目が覚めたら…そこは海」って最高ですよね。
これがキャンピングカーの魅力。
朝日を存分に浴びながら海沿いを少し散歩した後、「熊野那智大社」「熊野速玉大社」に参拝へ。
目次
熊野那智大社の雰囲気は最高
那智勝浦港からは30分程度で、道もよく快適なドライブ。
下調べせずに行ったので、駐車場にちと悩んで適当に止めることに。(後述しますが駐車場は事前に調べて行った方がいいと思います)
熊野那智大社の雰囲気ってすごい。
熊野三山の一つとして厳かな雰囲気に包まれているのはもちろんですが、日本一の落差を誇る「那智の滝」と、鮮やかな朱塗りの三重塔が作り出すコントラストは鮮烈な印象。
信仰の地ではありますが、純粋な観光地として十分以上に楽しめるスポットですね。
私は何度もこの近辺に来てるのに、不思議と立ち寄ったことがなかったんですよ。いや〜損した気分、本当に素晴らしかった。
参道〜那智大社〜青岸渡寺
熊野那智大社は大きくいうと
- 熊野那智大社
- 青岸渡寺
- 那智の滝(飛瀧神社)
この三つで構成され「那智大社」と「那智の滝」の間に「三重塔」があります。
今回の私が通ったルートは、
駐車場〜表参道〜那智大社・青岸渡寺〜那智の滝〜駐車場
まず参道を登って那智大社に登る階段(467段)を登ります。
これがかなりキツい。
「えーこれ登るの?」と最初からテンションが下がるのは仕方ないレベルw
この階段を登りきると熊野那智大社に到着。
着いた時にはヘロヘロになってましたが、鳥居と社殿を見たら疲れは吹っ飛びました。「登りきったゾ」なんて妙な達成感もあるし、当日は天気も快晴で朱塗りの社殿・青空・木々の緑が眩しいくらい。
那智大社に隣接するのが青岸渡寺。
「神仏習合」日本の宗教観って、素晴らしいと思いませんか?
ここから那智の滝へ向かう途中に三重塔があります。
「三重の塔と那智の滝」このコラボレーションが「那智大社」のハイライトですね。プロカメラマン?にカメラを渡すと撮影してくれますよ(プロが自分のカメラで撮った写真も1200円で販売しています)
三重塔〜那智の滝(飛瀧神社)
ここからは下り。それなりに距離がありますが、ところどころ那智の滝を眺められるので、楽しみながら降りることができます。
熊野古道っぽい石の階段を下ると車道へ。渡ればすぐに飛瀧神社です。
飛瀧神社の鳥居前からは「熊野古道」の雰囲気がある厳かな道に。
滝の音が大きくなって来たなと思ったら、そこは那智の滝。
「荘厳」とは、まさにこのこと。
那智の滝への参拝を終えたら、駐車場へ歩いて戻ります。
熊野那智大社に参拝するときの注意点
熊野那智大社に参拝するときの注意点は二つ。
- けっこう歩く
- 駐車場のチョイス
思ったよりも歩きます。
そのため一緒に行く人によって駐車場に気を使う必要があると感じました。
結構歩きますよ!
健脚な方なら何の問題もありません。気持ちいいウォーキングと思えるくらい。
でもお年寄りや小さなお子さんには間違いなく厳しい。最初の階段がかなりキツイんですよね。その場合は、駐車場のチョイスが大切だと思いました。
また、たとえ健康でもヒールなんかじゃキツイと思います。歩きやすい靴で行くのが大切ですね。
駐車場はどこがベスト?
熊野大社の駐車場って、初めて行くとわかりづらいんですよね。
大きくは3つ。
- おみやげ屋さんがやってる駐車場【400円〜500円】
- 那智山駐車場(熊野交通那智山観光センター)【500円+お土産5%off】
- 神社駐車場【800円】
私は下調べせず「お土産やさんの駐車場」に止めたんですが、ヒィヒィ言いながら那智大社まで登ったあと、青岸渡寺のすぐ隣に駐車場があるのを見てビックリ。
おみやげ屋さんの駐車場に止めると
- 表参道の「467段の階段」を登らなくてはならない
- 那智の滝も含めて全て歩く必要がある
とはいえ料金は一番安いし、健康な人なら「運動がてら」と思えば何ら問題ありません。
でも事情(お年寄り・小さなお子さん・ペット連れなど)によっては
- 「神社駐車場」に止めて「那智大社」「青岸渡寺」を参拝
- 車で降って「お土産やさんの駐車場」に駐車
- 那智の滝を参拝
このパターンが一番だと思いました。
料金は神社駐車場:800円+お土産やさんの駐車場:400円or500円と、少し高くつきますが、歩く距離が少なくて済みます。
何より一番キツイ最初の階段をスルーできるのがいいところ。
熊野速玉大社
那智大社へ参拝した後に訪れたのが「熊野速玉神社」
これで熊野三山への巡礼完了。
熊野速玉神社は、新宮市の街中にあり、規模的にも熊野本宮大社・那智大社と比べるとこじんまりした感じを受けます。
鮮やかな朱色がとても美しく、天然記念物の「ナギの木」が。
こちらに記されている上皇の熊野御幸の回数を見ると、当時の熊野信仰がどのようなものだったのか、思いを馳せてしまいますね。